Janet Cardiff & George Bures Miller @ 銀座メゾンエルメス


The Forty-Part Motet(Cardiff単名によるサウンドインスタレーション、2001年、上掲動画)とNight Canoeing(ヴィデオ・オーディオ、2004年)の2作を展示。
会期は2009年5月17日まで。無料。概要はこちらを参照。

The Forty-Part Motetは、タリスの多声モテット(「我、汝の他に望みなし」)を、40名の歌い手ごと個別に録音し、それを会場に楕円形に配置された40本のスピーカーから再生するもの。

展覧会のハンドアウト掲載のCardiffの言より引用。

「この作品を通じて私は、聴衆が歌う側の視点で音楽を体験できるようにしたいと考えました。どの歌い手の耳にも、一人一人違った構成の音楽が聞こえているはずです。聴衆が空間を自由に動き回れるようにすることで、それぞれの歌声と親密な関係を結ぶことができるようになります。」

以下、The Forty-Part Motetに関するメモ。

  • 果たして「歌う側の視点で音楽を体験できる」のか?複数の声とともに声を発しつつ聴取する身体と、発声を控えたままに聴取する身体との差異。観客が声を発することは想定しているのだろうか?
  • 個々のスピーカーに耳を寄せると他の歌い手の声も聞こえてくることから、完全な別トラック収録ではないことがわかる。基本同録。そのことの意図とは?
  • 「無音」部で知覚的に立ち上がる、残響の奇妙な短さ。録音と会場の2つのアンビエンス、その齟齬。あるいは視覚的な空間・歩行によって把握される空間と残響の長さとの齟齬。もちろんこのことは作品の美点。
  • 「耳モデル」機器による「口モデル」の懐古的シミュレーションの趣き(cf. Sterne)?
  • 関連して、人間嫌いの感触?
  • 継続的聴取による注意の焦点のずれ、ゆらぎ。こぼれおちる子音たち。
  • 「楽曲」休止時のおしゃべり=ノイズの巧みな利用。会場における自己定位感覚の構築性が体感される。
  • 上記のような積極的な「弱さ」と同時に、通俗的「没入」感あるいはPink FloydからNINに流れるようなメガロマニアの感覚が漂う。その魅力も否定し難い。

等々。会場の高い天井も作品の面白さを高めている気がした。

なおNight Canoeingは、文字通り夜闇の川(?)をカヌーで下ってゆく様子を記録した音声動画(おそらく同録)を、二重暗幕などで出来るかぎり暗黒に近づけた空間でループ再生する作品(TV画面+2ch音声)。電灯に照らされた水面から立ち上る霧の様子が、奥行き知覚のゆらぎーーTVという同一の物体を観察していながら、不意に知覚上の空間に次元が加わるーーをもたらしてくれたり、それなりに楽しめる。しかし、自発光源たるTV画面を用いたことがどれだけ自覚的なことであるのかなど、コンセプトやそのリアライズにやや曖昧な点もあり。あと、画面の安い質感やら作為の隠蔽の仕方に、どうしても『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を想起させられてしまう。たぶんこれは意図的、しかしその意図に批評性があるのかは疑問。

客の出入りがある際に、暗幕の隙間から会場の闇に差し込む光と、画面から発せられる光、そしてカヌーから投射される電灯の光とが交錯して、少しくはっとさせられる。それがいちばん面白かった。

The Killing Machine and Other Stories, 1995-2007

The Killing Machine and Other Stories, 1995-2007